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青森・大阪旅行2日目 ~青森に到着 八甲田・浅虫を巡る~

※5/9の日記「青森・大阪旅行1日目 ~上野発 夜行列車に乗って~」からのつづきです。

新潟へ入ってからも寝付けずに布団に入っており
眠りと覚醒の狭間を行ったり来たりしていると、列車が減速しているのを感じた。
窓の外を眺めると「あけぼの」は静寂に包まれた夜更けの長岡駅に運転停車。
なかなか発車しない様子であった為
「機関車の付け替えをきっと行っているのだろうな」と思った。
(後から調べたら、やはりここでEF81に付け替えていたようです)



シーンと静まり返る中、眠りに着き始めたとき
客車特有の発進時の衝撃で目が覚めた。

深夜の長岡駅での運転停車&機関車付替

長岡駅を後にした事を確認すると、カーテンを閉めて
眠ろうとするが、なかなか眠りにはつけない。
まるで修学旅行前夜の子供と同じだ。

そうしていると、またもどこかの駅に停車した。
カーテンを開けると人の気配のない新津駅だった。
「ムーンライトえちご」に乗ったときに降りた駅だ。
あのときの事を思い出す。
あれからもう1年以上か…早いなぁと。

丑みつ時の新津駅に停車

新津駅を出ると自分に取っては未知の領域。
窓の外を見ると、いかにも米どころ新潟といった水田の広がる景色であった。
ここからの景色を楽しみたいところだが、
やはり睡眠をある程度は摂らなくてはならない。
寝付けないまま時間がどんどんと過ぎていく。

横になっていると携帯のバイブ振動に気付く。
当初、群馬県内から寝ておき、村上駅到着前には起床し
そこから青森までの景色を見逃すまいとしていた為
アラーム(マナーモード)を設定していたのだ。
結局、寝付けないまま列車は村上駅に到着。
昨年、えぼ太郎氏にセレナで案内してもらったときに立ち寄った駅だ。
「イヨボヤ会館」や「味匠 喜っ川」に連れて行ってもらった事を思い出す。

車窓の朝の空


再び身体を横にするが、しばらくして振動や音から
カーブやトンネルが連続する区間を走行している事に気づく。
「もしや、車窓には日本海?」と思って起き上がり、カーテンを開くと正解でした。



日本海が広がり、その上には船の灯もいくつか見える。
それに少し青く色づいてきた空がなんとも幻想的であった。
線路と海の間の道路も、交通量が少なく非常に静かな雰囲気。
これぞ寝台列車の旅ならではの風景。
この光景を一生忘れまいと目に焼き付けた。

朝の日本海に沿って羽越線を走る「日本海」

4時8分には、あつみ温泉駅に到着。
薄っすらと青く空が染まるこの時間帯、
乗降客の人影は感じられなかったが、
その様子を見ていたら、映画「おもひでぽろぽろ」のワンシーンを思い出してしまった。

明け方のあつみ温泉駅

あの映画では山形へ向かっていたので、
恐らく奥羽本線経由の時代かと思うが、トシオが「あけぼの」に乗ってやってきた
タエコをスバルR-2に乗って迎えに行くシーン。
とてもそのシーンの描写が印象に残っている。
今、自分の目の前に広がっているリアルの光景が
ちょうど映画のワンシーンと重なって見えてきた。



あつみ温泉駅を出ると、宵明けの美しい光景が車窓に広がる。
群青色に染まった日本海を望んだ後には、
畑にかかる靄、田植えがされる前の水の張った水田に映り込む空の色や山々…。
そのどれもが美しい。

寝台から望む宵明けの空

鏡のような水田の遥か奥には鳥海山が見えてきた

朝焼けに空が染まる頃、畑には朝霧が立ち込めていた

そして明鏡止水の奥を遠く望めば鳥海山も見えた。
進行方向右側に見えてくるはずと思っていたが、
どうやら鶴岡周辺から余目の手前あたりまでは、
内陸を走るせいか一瞬の間ではあったが見えるようだ。
その後、程なくして線路が左へと曲がっていくに従い車窓から消えていったが…。

「あけぼの」の車窓から望む日の出

朝焼け、鳥海山、水田のコントラストが美しい

陽の色に染まる空と共に、田に張る水も染まっていく

進行方向右側からの眺めは、
昇ってきた陽と鳥海山の共演が楽しめる。
またそれを引き立てるのが山形の大地の自然豊かな風景だ。

進行方向右手に望む鳥海山

明鏡止水に映り込む鳥海山

次第に空が明るくなっていく中、朝焼けの酒田駅に到着。
ここは映画「おくりびと」の舞台になった地でもある。
この映画、去年に2度ほど見に行ったなぁ…なんて思い出します。
たしかに車窓で見ても美しい地でした。

酒田駅を出ると、俺はうたた寝していたが、
ハイケンスのチャイムが流れて目が覚める。
おはよう放送を動画で記録するつもりが、最初の方が欠けてしまった…。

進行方向右手にはどんどんと近づいてくる
鳥海山の雄大な姿が望む事が出来る。

雄大な鳥海山の眺めが近づいてくる

鳥海山と朝日を映し出す水田

遊佐、象潟、仁賀保、羽後本荘と
羽越本線内の駅を「あけぼの」は細かく停車していく。
羽後本荘~青森までは、立席特急券での乗車も可能で
「あけぼの」は地域特急としての役割も担う。

6時45分、秋田駅に「あけぼの」は停車。
ここでは4分間の停車となる為、ホームへと降り立ってみた。
車内は日が差していた事も有り暖かかったが、
外へ出ると爽やかであるが、東北である事を実感。肌寒さを感じた。
なにげに北東北へ来たのは、幼少期以来なので四半世紀以上振り。
福島より北に行く機会が私にはほとんど無いので…。

秋田駅に停車中の「あけぼの」

ホームへ出てから先頭の方へと行くと、カマが赤いEF81となっていることを確認。
前から写真に収めたかったが、停車時間も限りがあるし
それほどスペース的にゆとりも無さそうだったので
斜め後方からだけ記録として撮影しておきました。

秋田駅に停車中の「あけぼの」。カマはEF81(JR東日本色)に交換されていた。

車内に戻ると、上野駅で予め購入してあった朝食の
カツサンドとおにぎりを頬張りながら、車窓を眺めた。

「あけぼの」の車内でカツサンドとおにぎりを朝食に頂く

まるで季節を巻き戻したかのように、
私の地元よりも青葉が明るく、また菜の花も咲誇っていたし
桜も終わりかけではあったが、まだ花を付けていた。
北東北の春は今のようだ。

北東北に咲き誇る菜の花

「あけぼの」は八郎潟駅に停車。
小学校中学年の頃、国語の授業で八郎潟の伝説に関するものが
あったのをふと思い出す。
よもや自分がその地を訪れることがあるとは思っていなかったが、
授業の内容を思い出しながら、その風景を眺めていた。

八郎潟付近

八郎潟駅を出ると、隣の鯉川駅で
対向普通列車との待ち合わせでの停車。
通過するのは対向列車側…。
優等列車の寝台特急が普通列車を待つという今の時代の悲しい現実。
かつての花形であったブルートレインの
行く末を暗示しているようにも思えた。

鯉川駅にて対向列車との待ち合わせ

新緑が眩しい北東北(森岳~東能代)

森岳温泉郷を控える森岳駅に停車した後、
7時48分に東能代駅に「あけぼの」は停車。
ここでは3分間の停車時間がある為、ホームへと出てみた。

東能代駅に停車する「あけぼの」

爽やかな青空にブルーの車体が眩しい。
秋田駅でホームへと立った時と同様、肌寒さも感じたが
晴れ渡った天気のおかげで気持ちが良かった。

東能代駅に停車していたキハ40

ホームを挟んでお隣にはキハ40形の気動車が。
こういう環境の中、国鉄型気動車が似合うし
国鉄時代に製造された客車との共演もしっくりとくる。
近年では貴重な光景なのかもしれない。

爽やかな空気の中、ブルーの車体が眩しい

東能代駅を出ると、二ツ井、鷹ノ巣と「あけぼの」は停車しながら
長閑な風景の中をジョイント音を刻み進んでいく。

春の訪れの中を行く「あけぼの」の車窓(東能代~二ツ井)

春の訪れの中を行く「あけぼの」の車窓(東能代~二ツ井)

大館駅に停車すると、隣にはキハ100系の姿。
90年代初頭にこの気動車が登場した頃は、幼いながらも
国鉄型の気動車に比べて味気ない気がして、あまり好きではなかったが
それから約20年が経過した今になってみると、このスタイルの気動車も
みちのくの情緒があるように思えるから不思議だ。
恐らくステンレスむき出しの車体が各地で走るようになった昨今、
そうでない気動車は郷愁を誘うのかもしれない。

大館駅

大館を出ると、遅い春の風景を車窓に走る。
芽吹いたばかりの草木に小川が山里の春を感じさせる。
畑には農作業に精を出す方々の姿があった。

新緑が芽吹く春先の山里を行く

新緑が芽吹く春先の山里を行く

新緑が芽吹く春先の山里を行く

「あけぼの」は碇ヶ関駅に停車。
すぐ隣には枕木だけが残された線路跡とホーム跡のようなものがあった。
かつての繁栄を忍ばせるが、失礼ながらこのような山の中の駅に
長距離特急列車が停車するのが不思議にも感じた。

碇ヶ関駅

碇ヶ関付近の農耕風景

碇ヶ関駅を出た「あけぼの」は僅か8分後に大鰐温泉駅に停車。
ここは母が幼少の頃、今は亡き曾祖母に列車で連れられて
宿泊した事がある温泉地だそうだ。
今にして思えば、温泉好き・旅行好きは曾祖母も同じであったし、
亡き祖母もまた温泉・旅行が好きだった。健在の祖父も温泉や旅行が昔も今も好きだ。
俺が鉄道に乗って旅行に出かけたり、温泉大好きなのも至極当然なのかもしれない。

大鰐温泉駅

大鰐温泉駅を出ると、12分ほどで弘前駅に停車。
近代的な印象を受ける駅舎とホームであったし、
青森県内の主要都市であることを実感。
窓の外から聞こえてきた出発時の発車メロディが、
津軽三味線のじょんがら節であったのには驚いた。

弘前駅

弘前を出ると、程なくして進行方向左手に雄大な峰が見えた。
恐らく岩木山であろう。
手前に雲がかかっていたのは残念であるが、
天気が良くて山々が車窓に良く見えるのは有り難かった。

岩木山を車窓に「あけぼの」はラストスパート

このまま終点青森までは、開けた景色が続くのだろうかと思っていたら、
程なくしてまたも森林の中を行く「あけぼの」。
その車窓を見て、青森の地名由来はわからないけれども、
まさに青々とした木々が多い地だなぁという印象を受けた。

弘前~青森間の森林

弘前~青森間の森林

それから街が点在してくるも、木々がまだ多いあたりを走っていたら
突如として建設中のPC橋と大きな建物が見えてきた。
そこを「あけぼの」は通過していったが、
今年の暮れに新幹線が延伸する新青森駅であったようだ。

建設が進む新青森駅

今年暮れにはここまで新幹線が延伸予定

工事が急ピッチで行われているのだろうか、弘前駅周辺に比べて
何も無い印象であったので、ここが終着駅となる事に違和感も感じた。
(最終的には北海道へと延伸予定でしょうし途中駅になるのだろうけれど)



このあたりで、ハイケンスのチャイムが流れ
間もなく終点 青森駅に到着の車内放送による案内がされた。
そして、上野からひたすら走ってきた「あけぼの」は徐々にスローダウンし
ゆっくりと終点の青森駅のホームへと入っていく。
9時56分到着、12時間41分の旅を終えた「あけぼの」はしばしの休息へと入る。

長岡から「あけぼの」を牽引してきたEF81が切り離されていく

昨夜は闇の中、煌々と輝いていた「青森行き」の方向幕

青森駅で降りると人影は疎ら。
恐らく秋田あたりで降りた乗客が多いのかもしれない。
冷たい風が頬を撫で、本州最北端の地にやってきた事を実感するが、
かつての青函連絡船の運航されていた時代の活気(実際に見た事がある訳ではないが)は
見受けられず、どこか物悲しくも感じた。

かつての繁栄を偲ばせる遺構が数多く残る青森駅

かつて「青函連絡船 乗船口」を示していたのだろうか。黒く塗りつぶされた案内板が残っていた。

海側にかかる跨線橋の跡や
幅の広めのホーム、所々に残る案内表示の跡形などが
当時の繁栄を偲ばせる。
ふと頭の中に石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」が流れた。

かつてこの先に続いていた可動橋へ往来していた貨車達も今は幻

長旅を終えた「あけぼの」のカニ24のエンジンが停止。あたりに静けさが戻る。

青函連絡船の運行されていた時代に一度訪れてみたかったとも思った。
幼稚園児の頃に何度も読んでいた本には、青森駅が載っていたが
当時は青函トンネルの開通前で、その青森駅のみちのく旅情たるや
幼心にも「いつか行ってみたい」と思わせるものがあった。

本州の最果ターミナルで休息を取る「あけぼの」

「あけぼの」から切り離されたEF81が機回しされていった

感傷に浸りながらも、写真を撮影していると
先頭へと行く前にEF81は切り離されて行った。
私は力強いEF81の姿に心の中で「お疲れ様」と一声かけた。

構内牽引用のDE10が連結された「あけぼの」

やはりブルートレインには国鉄色の機関車がよく似合う

もっと鉄道ファンなどが詰め掛けている図を想像していたが、
気付けば他に一人デジカメを持った人が写真を撮っている他は誰も乗客はいない。
そんな中、DE10が最後尾側に連結された。
構内の牽引用なのであろう。
ブルートレインの車体とディーゼルカーの国鉄色のコントラストが美しかった。

一晩お世話になったB寝台ソロ個室車両

まだ肌寒さを覚える北のターミナルに佇む「あけぼの」

改札を抜ける際、乗車券と寝台特急券は記念に残す為、
友人改札口で「無効」の押印をしてもらう。
そのときの駅員さん達の訛りが、青森へ来たことを実感させてくれる。

改札を出ると緑の窓口で、竜飛海峡駅まで行きたい事を申し出るが、
どうやら竜飛海峡駅で降りて折り返すというのは出来ないらしく、
当初の計画が狂ってしまった。
今夜はこの青森駅から寝台特急「日本海」に乗る予定なので
時間には限りがある。

青森駅舎

ひとまずは、一旦駅舎の外に出て青森駅全景を撮影するが、
新幹線が青森まで延伸する事に伴ってか、駅前ロータリーの整備を行っており
上手く撮影が出来なかった。
幼稚園児の頃に、よく読んでいた本に掲載されていた
青森駅とはだいぶ印象が変わっていた。
「National」の看板も当然なくなっていたし…。

青森駅前も整備工事が進められていた

しかし、九州旅行の際もそうだったけれど、
新幹線延伸を直前として、在来線で旅行をしていて
その変遷の様子を見たし、大分駅も高架化工事の真っ最中で
地平ホームの様子を何とかギリギリで見ることが出来た感じだった。
今回も新青森駅の工事中の様子を目にしたり、
青森駅前の整備中の様子を目にしたりと、俺の旅には通ずる部分がありますね。

さて、どうしようかと思ったが
とりあえず、時間を有効に使う為には、どこに行くにしても
下調べが不十分のこの状況では、やはりレンタカーでの移動が良いだろうと思いつく。
以前、川原湯温泉に行った際もレンタカーを借りて白根山頂まで行った経験もあったし。
バスの待ち時間などを無駄に過ごさないで済む。

駅レンタカーがあったので、そこで地図を見せてもらい
いくつかの温泉地などへの凡その所要時間を教えてもらった。
地図上では直線距離で大した距離でなく感じても、
実際は山深いので、結構な時間を要する場所も多いからだ。

その結果、ドライブコースとしても良さそうで
時間・距離も最適で、以前TVで見ていて行ってみたかった
酸ヶ湯温泉へと行く事に。
山岳ドライブとなる事も考えて、Kカークラスから設定があったが
リッターカークラスの車を借りる事に。
(セルボがあればKカーでも不満ないけれど)
引き当てられた車両は日産マーチでした。

実車を見てビックリ。
もう5月だというのにスタッドレスを履いている。
それだけ雪が遅くまで降る地域であるのだろう。
また特に指定してなかったが、4WD車であった。
これも雪国ならではであろう。

借りる前に立会いで車の傷を確認。
随分と入念に最初からあった傷などを確認するなぁ。
今まで何度かレンタカーを借りた事はあるが、
どこも今まで借りたところは、軽く車の周囲を一周する程度だったような…。
何だか後から請求されそうで怖い気がしながらも、
確認を終えるとマーチに乗り込み出発。

荷物を抱えて移動していたので、車が楽にも感じます。
しかし日産車の標準搭載(2DIN後付タイプ)のナビは使い勝手が非常に悪いですね。
目的地を設定したが、喋ってくれないのでわからない。
どうやら経路から外れていた事に気づいたが、
新しいルート探索をしてくれていないままじゃん!
「なんだよ!このネタナビが!」と思いながらも
安全な場所に停車させると、再度目的地を設定。

「もしかすると、音声がミュートや小さめになっていたのかな?」とも思い
音量を大きめに併せて設定したところ、今度は超爆音で喋りだす!
「くぅー!このネタナビ!さっきまで黙り続けてたと思ったら
でかい声で喋りやがって!なんの恨みがあるんだ!」と思いながらも
慣れない青森の道なので、素直に従って行きます。w
右左折の案内のタイミングも絶妙な間の悪さで最悪。
古いトヨタの純正DVDナビ(ヴェロッサ)の方が素晴らしい事を実感しました。

軌道修正を図りながらも国道103号へ出ると、
八甲田方面へと向けてマーチを走らせていく。
晴れていて車内は暖かかったが、窓を開けて走ると
ひんやりとした空気が車内に流れてくる。

程なくして市街地を抜けると、新緑の明るさや
桜の花が咲いている事に4月にタイムスリップでもしたような錯覚を覚える。

青森はまだ桜の木が花をつけていた

国道103号は徐々に山へと入って行き上り坂へと差し掛かっていく。
坂を上がるに連れてさらに季節は逆戻り。
窓を開けて走っていると、鶯の囀りなども聞こえて早春の候といった雰囲気に。

岩木山展望所

雲谷のあたりまで来ると、岩木山展望所に立ち寄る。
マーチを止めて降りてみると、八甲田除雪隊の歌碑があり
人を感知すると音楽が流れ出す仕掛けが。
山の中で「八甲田除雪隊の歌」が流れ出す様は異様にも思えた。



マーチから降りるなり、年配ご夫婦の関西弁のおじさんに
「にーさん!にーさん!シャッター押してくれへんか?」と声をかけられる。
「はいはい~、ちょっとお待ちを」と俺。
なんだかせっかちな関西人の親戚のおじさん方相手のような態度の俺でした。

「八甲田除雪隊の歌」の歌碑

山を背景に歌碑と一緒に写るようにリクエストされ
写真を撮影したが、デジカメではないコンパクトカメラで
どのように撮れたかは不明。
おじさんもシャッターを押してくれるとの事で、
コンパクトデジカメを手渡して写真を撮ってもらったが…。

岩木山展望所から八甲田山の方を望む

おじさんが大阪府内のナンバーのついた車に乗って立ち去った後、
デジカメの写真を確認すると「アレ!?ない!」。w
どうやら半押し状態のみで終わっていたようです。
まぁ、これもご愛嬌ですね。
こうして一期一会で普段、接する機会の無い人たちと話す事が出来るのも旅の醍醐味。
青森で関西弁を聞くと違和感も感じたけれども、
古くから大阪と青森は海運で繋がりがあったようですよね。

萱野高原

さらに山道を登っていくと萱野高原に出たが絶景が広がる。
今日は天気も良くて「まるで絵葉書の中に自分がいるようだ」と思った。
2007年の秋にレンタカーで白根山をドライブしたときも
そんな風に思ったが、あのときよりもさらに人の気配が少なく、
静まり返る中でのあまりに美しい自然の風景が、
返って大自然の驚異をも感じさせ、不気味で恐ろしさすら覚えた。

萱野高原から八甲田山を望む

広がる草原の先に木々が並び、
その背景には雪を冠った八甲田の山々の稜線。
360度どこを見渡しても美しく別世界へと来たようだ。

まるで浄土のような菅野高原

ここでソアラの写真を撮れば、カタログのような
写真が撮れそうなんて事も考えてしまったり。
いつかドライブで来てみたいな…。
オープンで走っても気持ちいいかも。(ん?UZZ40!?)

萱野高原を抜けて、ブナ林の中を走っていると
路肩には雪が目立つようになってくる。
またブナの木々の枝が道路側へと多数傾いている。
冬季の豪雪がいかに凄いかを物語っていた。

そんな積雪の合間から路肩には沢山の蕗の薹が芽を出している。
小学校2年のとき、国語の教科書に一番最初に載っていた詩が
蕗の薹を題材に春の訪れを描いたものであったのを思い出した。

路肩に残る積雪

ブナ並木を走っていると、途中、左へと入っていく道が。
案内板を見ると「雪中行軍遭難記念像」、「鳴沢」とあった。
あの「天は我々を見放した!」で有名な、
映画化もされた210名中199名が雪山での遭難により亡くなった八甲田雪中行軍。
その惨劇からの生存者の一人、後藤伍長の功績を称えて像が設置されている。
今回はそちらへは向かわず直進。
でも後になって思えば帰り道に、そちらを通ってみれば良かったかな。
また青森を訪れた際は、八甲田雪中行軍に纏わる場所を
巡ってみたいとも思った。

さらにマーチで山を登っていくと、残雪の積雪量も増えていき
ようやく訪れた遅い春先の風景へと変わっていく。
がけ崩れにより、工事中の個所などもあり
大変厳しい自然環境である事が伺える。

そんな険しい山岳路も地元民にとっては日常の足となる道なのであろう。
あっという間に地元ナンバーの営業車や4t以下のトラックに追いつかれては
安全な場所で退避して先に行かせる。
怖くてあんな速度で俺は走れません…。
借りてる車だから万一の事故も尚の事、嫌でしたしね。

そんなブナ林の中を縫うように走っていくと
やがて大きくカーブしたところに
目的地の酸ヶ湯温泉の建物が見えてきた。

酸ヶ湯温泉

駐車場にマーチを止めて外へ出ると、硫黄臭が鼻を付く。
そして青森市街地よりもさらに気温が低い!
半袖で出たはいいが、明らかに季節はずれの格好で着てしまった。
まだ積雪は数mといったところだろうか。
なるほど路面にこそ積雪はなかったが、借りたマーチに
スタッドレスタイヤが未だ装着されており、4WD車であったことも納得だ。

かなりの積雪が残る酸ヶ湯温泉

この酸ヶ湯温泉は以前、テレビの旅番組でも見ており
「行ってみたいなぁ」と思っていた一軒宿。
「でも行ける事は一生ないんだろうなぁ…」と
リビングで放映を見ながら思っていたが、来る事が出来て感激です。
これも6年半、今までの会社で休みが取りづらい中、
頑張って働いてきた自分へのご褒美かな。

飲泉所と湯治客用の趣きのある棟

日光湯元温泉、四万温泉と共に国民保養温泉地第一号に
指定されている由緒ある酸ヶ湯温泉は、古くからその効能から湯治客が多く
宿には通常の宿泊施設の他、湯治客専用の棟がある。
この湯治客用の棟が特に趣きのある佇まいで、
思わず何枚も写真を撮ってしまう。

飲泉所

駐車場の傍らには飲泉所もあった。
私は飲まなかったけれども、その名の通り
泉質は酸性で飲むと酸っぱいとの事だ。

「混浴を守る会」の三ヶ条

まずは鞄に入れて持ってきていた風呂道具を手に館内へ。
館内入口にある自動券売機で日帰り入湯券を購入。
ここは「玉の湯」と「千人風呂」の二つの浴場があり、
それぞれ片方のみの入湯は¥500。
両方に入れて日帰り客向けの休憩室が利用できる
セットの券が¥1,000である。

なお「千人風呂」は混浴であるので一瞬躊躇したが、
総ヒバ造りの風呂には温泉マニアならずとも是非とも入りたい。
そこで私はセット券を購入した。

館内の様子

館内に入ると山奥の鄙びた旅館風情に迎えられる。
目に付く至るところにレトロな空気を醸し出す物があり、
時間がゆっくりと流れているようで、温泉に浸かる前から既に
「いつか泊まりに来たいなぁ」と思った。

館内の廊下

宿内に入ってすぐ栗鼠、テン、アナグマ、鼬、カモシカなどの剥製が飾られていたが、
最近こういうの見なくなったし、こういうのが飾られているあたりも
昔ながらの山間の温泉宿といった雰囲気を感じた。

ロビーには剥製が展示されていた

まずは「玉の湯」の方から入った。
こちらは小さめの浴場で内風呂1つのみであったが、
近年リフォームされたのだろうか、いにしえの雰囲気を残しつつも
洗い場や脱衣場の設備などはキレイで使いやすく好感が持てた。
また浴場は檜の香りと硫黄泉の香りが立ちこめており、温泉情緒満点。

玉の湯

身体を洗い流した後、緑がかった乳白色の湯に満ちた湯船へと浸かる。
お湯の温度は少し熱めであるが、しっとりと肌にまとわりつくような泉質で
長旅の疲れを癒してくれる。
浸かっていていかにも効能が有りそうな感じの印象も受けた。
「これは長風呂すると湯当たりするかもしれない」と思って、
時折、半身浴のようにしたりしながらも、ゆっくりと温泉を楽しみました。

40分弱くらいの入浴を終えて、一旦あがると
男湯のすぐ傍にあった休憩処で一息つく。
付近の窓が開いていたのか、涼しくて湯上りに休むのに最適であった。
しかも平日とあってか貸切状態。

玉の湯(男湯)の隣にあった休憩室

レトロな休憩室には、八甲田の湿原、ねぶた、林檎畑など
青森を題材として描かれた絵や、八甲田仙人の異名をも持っていた
この地の有名な山案内人「鹿内辰五郎翁」の写真などが飾られていた。

休憩室にあったレトロなガスストーブ

また、休憩所に置かれていたガスストーブや、通路の空調設備なども
レトロで何とも言えぬ情緒を醸し出していた。

それから2Fへとあがり、日帰り客休憩室を利用する事に。
昨年の晩夏に水上の日帰り入浴施設の2F休憩室が
人がごった返しており騒がしかったのとは対照的に、
他に居たのは地元のご老人だろうかと思われる方が1名昼寝をしているのみ。

日帰り休憩所

ここは夜には宴会場として使われるのだろうか。
備え付けられているスピーカーの「PIONEER」のロゴが古いものであったり、
空調設備に「National」のロゴがあるのを見つけては、またレトロに浸る自分がいた。

日帰り休憩所として使われていた広間

青森出身の「棟方志功」の書や板画が、館内には至るところに飾られており、
この休憩室にも、立派な書と板画が飾られていた。
これだけの棟方志功の作品があることに驚かされる。

休憩室で一息ついた後は、いよいよ総ヒバ造りの「仙人風呂」へ。
男女別々の脱衣場から入るが、脱衣場の扉には「撮影厳禁」の文字。
このご時世、不届な輩も多くなり混浴も存続が危ぶまれているのだろう。
脱衣場に置かれていた入浴方法が記されたそれが、
何ともレトロで味わいがあったので写真を撮りたかったが
男性専用空間といえども、但書きに従い写真は撮りませんでした。

ともあれ脱衣場からして、鄙びた雰囲気で情緒満点。
入浴前から温泉情緒に期待。

そして浴場へと入るとこれだけの大きさの
総ヒバ造りの大浴場はまさに圧巻。
なんともレトロで良い雰囲気です。

広い浴場だが、時代の流れからか
混浴と言えども真ん中から両側で男性エリア、女性エリアと分けられていた。
カップルやご夫婦、家族連れで温泉を楽しみたい方には
やや煩わしいかもしれないけれども、致し方ないことであろう。

宿泊であれば女性専用となる時間もあるようなので、
女性の方は総ヒバ造りをその時間内であれば気兼ねなく満喫できるでしょう。
男性専用の時間帯は設定無しなので、異性の居ない中で
気兼ねなく入る事が私には出来ないので少々残念ではありますが、
実質今日も男風呂と化していたようなものなので、
まぁ、それはそれとして諦めるしかないですね。

まずは「冷の湯」でかぶり湯をした後、手前側にある「熱湯」から入る。
それから「湯滝」という打たせ湯で首肩の疲れを癒した後、
一番大きな「四分六分の湯」へと浸かった。
さらにもう1回ずつ「熱湯」、「四分六分の湯」へと浸かったが、
「熱湯」の方がぬるく感じて、「四分六分の湯」の方が熱く感じて
前知識がなかった為「名前の由来は何故だろうか…?」と疑問を感じていた。

地元県内からも訪れる人が多いのだろう。
地元のご老人と思われる方も入浴されており、会話に耳を傾けても
訛りが強く、何となくしか理解できなかったが
素晴らしい酸ヶ湯温泉へのアクセスが良い方々が羨ましい限りでした。

また閉鎖的な考え方かもしれないが、日光や箱根といった温泉地と比べて
外国語の聞こえてこない中でゆっくりとする事が出来ることに
落ち着きと安心感を覚えました。
まだまだ海外からの観光客には穴場なのかも!?

酸ヶ湯温泉の泉質と雰囲気に私はすっかりと虜となってしまった。
今まで入ってきた温泉の中で、一番 泉質が気に入ったかもしれません。
「帰りたくないなぁ…泊まりたい」と思いながら、乳白色の湯に浸かっておりました。

しばらくして、熱くなってくると
最後にタオルを水で絞ってから身体を拭いてあがりました。
蛇口のところには「この水を体の中心に当てると元気になります」って
書いてあったけれども、「いやいや、そんな急激に冷やしたら死んじゃうよ!」と
心の中で突っ込んでました。

風呂あがりに脱衣場で身体を冷ましながら、
先述の入浴方法などが書かれた物を読んでいたが、
湯船に浸かっていたときの疑問がこのとき解消しました。
「熱湯」、「四分六分の湯」はそれぞれ源泉が異なっていて、
「熱湯」の方は「四分六分の湯」よりもぬるめだけれども、
体の芯が暖まるとの事で、「四分六分の湯」は「熱湯」と比べ
体の芯は暖まらないのだそうだ。
それに由来してこの名前となっているとの事。

汗がひいた後、髪を乾かすと再び2Fの休憩室に行き
貸切状態となっている中、水を飲んでしばし横になって休んだ。
「いつもなら仕事をしている時間帯になんと贅沢だな…」と
時計を見て思いながら、旅の充実を噛み締めていました。

15時前を回ると、休憩室を出て宿に併設されている土産物屋で土産を買う。
地元の仲間に配ろうと、南部煎餅をいくつか購入。
それからレアなものを発見!
「レトロシリーズ。倉庫に眠っていたものです。在庫限り!」と記されて
売られていたのは、いかにも古い八甲田や十和田の絵葉書。

希少!レトロな当時物の八甲田の絵葉書や冊子

それらが数百円で売られているのだから、これは買いだと思い購入。
当時もののレトロな絵葉書がこの価格はお値打ちだと思いました。
それから冊子の「八甲田」も購入。
こちらも解説の言い回しや写真などが、いかにも当時の雰囲気で堪りません。
特に八甲田スキー場の解説文に「若人達のユートピア」とあるのが
当時らしい表現で気に入りました!

購入したうち、片方の絵葉書には郵便番号の記入枠があったが、5桁なのが懐かしい。
しかし、郵便番号の記入枠があるだけ、まだこちらは新しい。
もう一つ買ったシリーズの方は、郵便番号の枠がなく時代を物語っていました。
絵葉書の中に写っている車も、車好きの俺でも車種判別がちょっと出来ない
年代ものでいい感じです。

これが復刻版でなく、紛れもない当時ものであるのが絶賛です。
本当なら全部買い占めたいくらい。
「よくぞ残っていたなぁ…」と思うと同時に、
絵葉書を好んでよく昔から買ってくる祖父の家にでも
有りそうな感じもするなとも思いました。

土産物を買った後は、これまた併設されている食事処「鬼面庵」で
遅めの昼食を軽く摂る事に。
店員さん達の表情や対応にも暖かみがあり、
食事を注文する前から良い気分です。

酸ヶ湯に併設されている食事処「鬼面庵」

温泉卵の乗った「酸ヶ湯そば」にトッピング用の「山の芋」を加えて注文。
さらにサイドメニューとして「生姜味噌おでん」、「そば団子」も注文した。
お腹がペコペコだったので、がっつり食べたい気もしたが、
睡眠不足なので居眠りしちゃいそうなのと、今夜の寝台車で食べる夕飯の時間を考えて
この食事内容としました。

まず出て来たのは、「生姜味噌おでん」。
もっと塩辛い味噌おでんを想像していたが、これが割りと薄味で食べやすく
お腹にも優しそうな味わいでした。

生姜味噌おでん

それから続いて「酸ヶ湯そば」、「そば団子」が出てきました。
ここのお蕎麦は、八甲田の湧き水で打った
つなぎを使っていないそば粉100%の十割蕎麦。
すぐに切れてしまうその蕎麦は、スルッと入る。
シンプルながらも出汁の効いたスープに、トッピングの「山の芋」を入れ
蕎麦の上に乗っている温泉卵を崩して、絡めて食べると何とも言えぬ旨さ。

酸ヶ湯そば(山の芋を別途トッピング用にオーダー)

「そば団子」の方も素朴な味わいで、添えられた塩をつけて食べるが
シンプルながらも懐かしい味が口の中に広がります。
景色は良し、湯も良し、食べ物は旨い、青森の人たちの人柄も良いと
言うことなく大満足でした。

そば団子

食事を終えると、国道103号を青森方面へと戻る形で走ります。
今度は下っていくに連れて、次第に季節が進んでいくような感じ。
帰り道も萱野高原に立ち寄ります。
往路のときと違って曇り空となっていましたが、これもまた山のひとつの表情。
日が差さないせいか、だいぶ寒く感じ数枚の写真を撮るとすぐに車内へ。

帰り道も萱野高原に立ち寄り写真を撮影

少し時間にゆとりがあったので、そのまま青森駅には戻らず
浅虫温泉の方までドライブすることに。
だけれど、体調はイマイチでしゃっくりは出るし、
ご飯を食べた後&温泉に浸かった後だったので眠気も全開で
ワインディング路でも寝てしまいそうで辛かったです。

国道103号を下ってから、県道44号に右折する形で入り
それから青森自動車道に並走する国道7号のバイパスへと出たが、
途中でまた絶妙な間の悪さのナビの音声案内により、ひとつ手前の交差点を曲がってしまったり。
曲がってから画面を見たら、もう一つ先の交差点だったのに
ちょうど信号の前で「左方向です」と言われたら、曲がっちゃうじゃないか。w
ちゃんと「次の交差点を左です」とか「およそ●●m先を左方向です」と案内してくれないと…。
で、間違えた後は軌道修正のルート探索をしてくれないので、
結局、画面の地図を見て自分で軌道修正…。

浅虫温泉の湯の島が見えてくる

国道7号バイパスをしばらく走ると、国道4号と合流。
そして程なくして前方に湯の島が見えてきた。
トンネルを抜けると目的地の「道の駅 浅虫温泉 ゆ~さ浅虫」に到着。
景色を見て驚いた。
以前(半年くらい前かな)、夢に見た海辺の温泉街の風景にそっくりだったからだ。
あれは予知夢だったのだろうか。

「ゆ~さ浅虫」より浅虫温泉一帯を望む

ここは最上階に海を眺めながら温泉に入れる展望浴場が有り、
当初の予定では、竜飛海峡に行って来た後に入るつもりでした。
温泉ハシゴしたい気もしましたが、今回は時間の都合もあるので諦めました。

湯の島

「道の駅 浅虫温泉 ゆ~さ浅虫」を後にすると、
すぐ目の前にある防波堤の駐車場にマーチを止めて降りてみる。
だけれども日も暮れかけて、海から吹く風も冷たく
とてもじゃないけれど、すぐに車内に戻ってしまいました。

防波堤の前の駐車場に車を止めて降りる。マーチの後ろに見える建物が「ゆ~さ浅虫」

浅虫温泉の海岸。左に見える小さな島は裸島

それからは、国道4号を戻りつつ、途中から海沿いの県道259号を走って青森市内へ。
再び国道4号と合流すると、市内のガソリンスタンドで満タン給油。
ワインディング路を走った割に、意外と燃費が良かったのか大して入りませんでした。

そのまま青森駅に戻っても良かったのだけれども、
少し時間が有り、レンタカーを借りた際に貰ったパンフレットを読んで
どうしてもかつての青函連絡船「八甲田丸」が保存されている
「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」に立ち寄りたかったので行ってみる事に。
これは駅からも見えていたのだけれども、ただ船が記念館として残されているのかと思ったら
甲板部に実車の鉄道車両が展示されているのだというから、見ない訳にはいかないと思いまして。

薄暗く曇っている中、八甲田丸のもとへと向かっていくと
なんだか物悲しい雰囲気に包まれておりました。
そこに上り列車となる寝台特急「あけぼの」が入線。
北国の旅情を感じさせます。

「ヨ14493」と「ヒ759」

八甲田丸の近くには、「キハ27」が3両と「ヨ14493」と「ヒ759」が置かれていた。
その姿がまた物悲しさを増させる。
また「キハ27」は朽ち果てているようでした。

休憩室として置かれている「キハ27」

「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」の駐車場に車を止めて降りると、
すぐ傍に「津軽海峡・冬景色」の歌碑があり、
これもまた岩木山展望所にあった「八甲田除雪隊の歌」の歌碑と同様
センサーで人を感知すると曲が流れ出す。
人影まばらな中で「津軽海峡・冬景色」が大爆音で流れるのが滑稽というか、
ある意味では寂しさを感じさせる情景となっていた。

八甲田丸のわきに設置されていた「津軽海峡・冬景色の歌碑」

「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」は改装工事中のようで
入館こそ出来たものの、概観は塗装作業中で全体の姿を撮影する事も出来ず、
また、操舵室など普段展示されている個所で見れないところもあったのが残念。
これからも保存する為に必要な補修作業でしょうし、仕方ないですけれどね。
ただ煙突の大きな「JNRマーク」は確認でき、当時の勇姿が目に浮かんでくる。

「JNR」マークが懐かしい八甲田丸の煙突

時間がないので、かなり駆け足で展示を見て行ったが、
本当であればゆっくりと時間をかけて見て行きたいものだらけでした。
ボタンを押すと動いたり光ったりする模型の展示などは、
いかにも昭和時代の展示物といった感じで、それ自体がもはや懐かしく感じたが、
古い写真や、青函連絡船運行時の映像など興味深いものも沢山。
戦時中に青函連絡船(旅客船)も爆撃を受けていた事など
改めて得た知識もあり、駆け足ながらも館内を見て為になりました。

懐かしい模型展示

そして、懐かしの国鉄車両が保存されている車両甲板に降りる。
郵便車の「スユニ50」が2両、ディーゼル特急形車両の「キハ82」、
ディーゼル機関車「DD16」、車掌車「ヨ6000」、控車「ヒ600」が4両と展示・保存されていた。

スユニ50

DD16(左)とキハ82(右)

どれもノスタルジックに浸れる車両達だが、
特に郵便車が当時を彷彿とさせるし、キハ82の室内の紺色のシートも
往年の国鉄列車が走っていた時代の記憶へと誘ってくれる。

ヒ600

キハ82

車両甲板の扉部に続くレールを見ながら、
ここを往来した貨車達の様子を頭の中でイメージし
「2度とこれが開き、可動橋に接続される事はないのだろうな…」と
かつての情景に思いを馳せる。

車両甲板の扉部分

機関室も一部見ることが出来たが、見慣れている車のエンジンとは
比べ物にならない程のスケールで迫力があった。
1,600PSのエンジン8基がけ(12,800PS)で、101さんの乗っていた
トリプルプレートの強化クラッチの入ったモンスターマシン
500PSのGT-Rも、エンジン出力だけで見れば遥かに凌駕です。

八甲田丸の機関室内

駆け足(20分程度)で「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」を見た後は、
薄暗くなる中、青森駅へ戻りレンタカーを返却。
借りるときにかなり細かく見ていたので、返却時の手続きや確認も
時間がかかるのかなと思ったら、駐車場にいた係員のおじさんが
サッとマーチの周りを一周して「はい、OKです」で終わり。
なんだこのアッサリ振りはと思ったが、時間が無かったので助かった。

土産物など荷物が多くなっていたので、
駅建物に併設されていた土産物屋で別の土産を買って
酸ヶ湯温泉で買ってきた土産物と一緒に併せて、自宅へ宅配便発送を依頼。
それから駅構内の売店で、弁当、翌朝の朝食、飲料、ビール、つまみなどを購入。

大阪行 寝台特急「日本海」を示すLEDホーム案内表示

今夜はこの青森駅から大阪駅へと向かう19時33分発の
寝台特急「日本海」に乗って出発となる訳だが、
駅員さんに入線時刻を尋ねてみると(手持ちの時刻表に載ってなかった)、
18時55分に入線するとの事。
思っていたよりも早い時間に入線するのだなと思いつつ、
改札を抜けると荷物を抱えて1番線ホームへと向かう。



ホームへ降りると程なくして、構内用のDE10に牽引された寝台特急「日本海」が入線してきた。
発車時に先頭となる最後尾には、既にEF81(標準色のローズ色)が連結されていた。

出発を待つEF81率いる「日本海」

昨晩、上野駅では「あけぼの」を撮影するファンの姿が多く見受けられた為、
上り列車となる「あけぼの」と「日本海」の始発駅の青森駅にも、
そういった方々が集結しているのかなと思ったら、思いの他に写真を撮っている人は少なく
私以外にもう1人だけが写真を何枚か撮影しているだけであった。
始発駅というのに、ホームの人影もまばらで閑散としており、
宵に暮れる空と併せて、より物悲しい雰囲気に包まれていた。

往年のブルーの車両が哀愁を漂わせていた

この寂し気な空気に包まれた青森駅始発の「日本海」の様子を記録しようと
私は発車前の情景をカメラに収めていく。

人影疎らなホームが物悲しい雰囲気


群青色にと染まっていく空に、原色の機関車が先頭に立つ
ブルートレインの姿が往年の貫禄を見せると共に美しくもある。

群青色に染まる空と青森ベイブリッジと「日本海」の共演

鉄道が人々にとって最もポピュラーな移動手段であった時代、
かつてはこの「日本海」が発車の際も、ホームは賑わっていたであろう。
私はそんな当時の情景を想像しながら、かつてはなかった
青森ベイブリッジを背景に「日本海」の姿を記録していった。

「日本海」の方向幕

発車までには十分に時間があったし、人も少なかったので
途中でメモリ容量がいっぱいになったカメラのメモリを交換したりしながら、
じっくりと「日本海」の姿を記録に収めていった。

「日本海」と青森ベイブリッジ

隣のホームに入ってきた特急列車も今では485系ではなくなっていた。
ここに「はつかり」や大阪発着のかつての「白鳥」が
入線していた当時に来てみたかったものである。

青森を発着する新型の特急車両

ふと気付くと、青森ベイブリッジの照明の色がブルーへと変わっていた。
私はさらにそのライトアップを背景に「日本海」を撮影しようと
買ったばかりのカメラで、慣れない手つきでレリーズしていった。

ブルートレイン「日本海」とブルーライトで照らされる青森ベイブリッジ

発車時間も近づき始めると、車内へと乗り込む。
7号車~10号車は連結されていないようで、
最初、12号車に乗る際「12号車が無いじゃないか」と若干焦りましたが、
乗客数に併せて編成を調整しているのだろう。
後の車内放送でも、7~10号車は連結していない旨が案内されていた。

今宵はA寝台初乗車

今宵の宿は、今や絶滅危惧種とも言えるであろう
プルマン式A寝台車の「オロネ24」。

一昨年のダイヤ改正で個室A寝台が連結されていた
JR西日本所属車両の「日本海」が一往復削減されてからは、
プルマン式A寝台を連結したJR東日本所属の車両での運行のみとなっている。

私は最初、個室での旅が出来ない事に少々がっかりしていたが、
物は考えようで、21世紀までよくぞ持ったという印象さえ与えてくれる
この開放式A寝台で旅が出来ると思えばラッキーだ。
その為、開放式B寝台ではなく、より高い金額を支払って
"あえて"この開放式A寝台に乗る事にしたのだ。

開放式と同額のB寝台料金を支払い、個室ソロで上野から青森までやってきたが、
それより高い金額を出して開放式というのが、ある意味では堪りません。
「普通の人はあまり乗らないだろうな」と思ったら、
意外とA寝台の需要は高いようで、乗客数は思ったよりも多かったです。
その理由は後に、次第に私もわかるような気がしてきましたが。

ちなみに今回で3度目となる寝台列車乗車経験ですが、
開放式寝台は初めてで且つA寝台の乗車も初めて。

車両に乗り込みデッキの扉を開けると、
そこには喫煙スペースの向かい合わせのフリースペース座席、
車掌室、更衣室が有り、さらにもう1枚の扉を開けると客室となる。
2重扉構造となっているあたり、さすがはA寝台といった所だろうか。

オロネ24の通路

また、客室中央の通路には赤い絨毯が敷かれており
オ"ロ"ネとしての風格が醸し出されていた。
普段、グリーン車に乗る機会が、普通列車(サロ216やサロ217等)に限られている私にとって
長旅での"ロ"のつく優等車両に乗るのは贅沢を感じる。

上野駅を出たときの「あけぼの」同様に既に寝台はセットされた状態であった。
発車時刻も早くは無く、この方が効率的なのかもしれない。
上下段ともに線路と平行の方向で寝る形となるが
下段は、寝台を使用しない際には、
ベッドを折りたたみシート化する形となる。
写真でしか見たことが無いが、結構ゆとりがありそうな感じとなる。
そのときのヘッドレスト部分の片側が、荷物置きとして使えるなど
便利な部分がさすがはA寝台といった気もする。

オロネ24の寝台(下段)

この開放式A寝台は上下段で寝台料金が異なり、
上段より下段の方が、料金が高くなっている。

上段の方はハシゴを昇ってあがるが、
大きな窓は無く、小窓があるのみ。
ただこちらの方がベッドはよりフラット。

オロネ24の寝台(上段)

今回は日本海側で且つ、なるべく車両中央部という事で
希望して指定券を入手したが、購入が直前の割に要望通りに取れた。
青森駅発車前に既に車掌さんが車内検札を済ませていた。

間もなくして大阪行4002レ「日本海」は青森駅をゆっくりと後にする。
今朝「あけぼの」に乗って見てきた景色が、
夜の帳の下りた中で逆再生していくように車窓を流れていく。



それを眺めながら、夕飯を頂く事に。
今宵の食事は「八甲田牛 しぐれ煮弁当」。
お酒は昨夜は食後にウィスキーをやったが、
今夜は寝不足でもあるから缶ビールのみにしました。
でもちょっと贅沢して昨夜は発泡酒だったけれども、
今夜はプレミアムモルツです。

夕飯は「八甲田牛 しぐれ煮弁当」と「プレミアムモルツ」

結構、酸ヶ湯温泉にて色々と食べてお腹が満たされていたと思っていたが、
意外と食の進みは良く、ビールもグビグビといけました。

夕飯を食べながら車窓を眺めていると、
漆黒の闇の中を駆ける「日本海」は弘前、大鰐温泉、大館と停車していく。
大館駅に停車する頃には食事も終えており、
眠気も襲ってきていたので、少し早いが歯磨きに車端部へと向かっていく。

大館駅に停車中、上段の小窓から外の様子を伺う

するとオロネ24の洗面台は古いタイプのものであった。
これは2008年9月に乗った「富士」のときと同じタイプ。
ちなみに隣のB寝台車の洗面台は温度調節式の混合栓タイプでした。
これもまたレトロで良いかなと思いましたが、
設備は古くても手拭ペーパーが備え付けられていたり、
トイレも和式と様式の両方があるなど、さすがはA寝台車と思わせる点も。
また、飲料水のクーラーが懐かしい。

昔懐かしいオロネ24の洗面台

そうこうしているうちに「日本海」は鷹ノ巣駅に停車。
このあたりで、浴衣に着替えた後に
コンパクトデジカメのメモリ容量が増えてきており、残り撮影可能枚数が減っていたので
NotePCのHDD内に移す事に。
NotePCを起動、USB接続して電源を入れてコピペ開始。
すると、いつの間にか私は意識を失っておりました。
東能代駅の記憶はあるような、無いような…。

NotePCを起動し、デジカメを繋いで写真を移しているうちに眠ってしまってた…

気付いたときには秋田。
秋田駅への到着を知らせる車内放送と減速Gによって目が覚めた。
充電環境が無い中で、勿体無い事にしばらくPCとデジカメのバッテリを
無駄に消費してしまいました。
秋田駅では結構、このオロネ24にもお客さんが乗車して来たようで
カーテン越しに足音がバタバタと沢山聞こえました。
それまでは自分を含めて3名しか車内に居ませんでしたが…。



騒がしくなって寝付けなかったり、半端に起きてしまったから
眠れなくなってしまうかな…と少し不安に思いながらも、
NotePCとデジカメの電源を落とすと、再度布団に潜る。

まだまだ減光前の時間であったが、読書灯の灯りも消して寝る気満々。
しばらくは「あけぼの」で見てきた景色と重なるし、
睡眠不足だし早めに寝ておき、早起きをして薄暗い宵明けの日本海の車窓を
新潟~富山あたりで堪能しようと思って。

寝台列車ならではの素敵な情景に出会う事に期待を寄せつつ横になる。
秋田駅を出て間もなく、前日からの睡眠不足と疲れのせいだろうか、
私はジョイント音をBGMにすぐにまた深い眠りへとついた。

※5/11の日記「青森・大阪旅行3日目
 ~昭和情緒たっぷりの「日本海」で大阪に到着 最新鋭の新幹線に乗って東へと帰る~」につづく。
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  1. 2010/05/10(月) |
  2. 鉄道

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